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斉子内親王 (醍醐天皇皇女) : ウィキペディア日本語版 | 斉子内親王 (醍醐天皇皇女)[せいし] 斉子内親王(せいし(ただこ/きよこ)ないしんのう、延喜21年(921年) - 承平6年5月11日(936年6月2日))は、平安時代中期の皇族。済子とも表記する。醍醐天皇皇女。母は女御・源和子。同母兄弟に常明親王、式明親王、有明親王、慶子内親王、韶子内親王がいる。朱雀天皇朝の伊勢斎宮(但し、伊勢への群行はない)。 承平6年(936年)3月の異母姉・雅子内親王の退下により、16歳で斎宮に卜定されるが、同年5月11日に薨去。恐らく初斎院入りもなかったと見られる。これにより、姪の徽子女王(後の斎宮女御)が9月に後任として卜定された。 == 参考文献 ==
*角田文衛監修『平安時代史事典』角川書店、1994年。 *芳賀登ほか監修『日本女性人名辞典』日本図書センター、1993年。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「斉子内親王 (醍醐天皇皇女)」の詳細全文を読む
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